Voice 先輩スタッフの声

MINA AMIGO 秋本

私は秋田出身で、地元で高齢者福祉の現場を経て介護支援専門員として働いていました。
その中で精神障害の方と関わる機会があり、精神障害について学び、精神保健福祉士の資格を習得しました。資格を活かして仕事をしたいとは思っていましたが地元では活かす機会がなく、そんな時に袋田病院で募集があり、縁あって茨城県の当法人で精神保健福祉士として経験を積ませていただくこととなりました。

茨城県での生活は初めてですが、東北より気候が温暖で晴れ間が多く、冬場の雪の苦労がないことですごく快適に過ごせています。また仕事場の近くは県でも有数の観光地で、四季を感じるきれいな景色や日本三名爆〝袋田の滝〟があり、のどかな自然の中でゆっくりと過ごすことができています。

現在は主に就労支援を担当させて頂いており、様々な就労支援の研修などに参加し最新の就労支援の現状やかかわり方を伺う機会がありました。また、少しずつですが通所し作業に参加されていた方がアルバイトや正社員として就労につながってきています。過疎高齢化が進む職場の地域では求人内容から企業の障害者雇用の理解まで、学んだ実例とは大きく異なってはいますが、この地域で医療と地域をつなぐ支援として、特に障害者の雇用の実例から理解につながって雇用の場が広がっていくよう、企業側へのアプローチを行っていきたいと思っています。

MINA AMIGO 松尾

もともとは福岡の酪農現場で9年ほど家畜人工授精師として現場周りしていました。その中で現場の農家さんに怒られながらも一人前(に成れたかは今も分かりませんが)に育てて貰った恩を返したいな、と常々思ってました。直接の恩返しは出来なくても、衰退していく農業を少しでも支え貢献出来ることを模索していました。その後、一般の牧場で働いていましたが袋田病院での技術者募集を見つけ“牛の技術的な部分(人工授精や牛の管理)で技術貢献できるのと、メンバーと一緒に農業ヘルパーをすることによって農業者不足の解消を手助け メンバーの働きたいという想いが就労に繋がれば、仕事として面白そうだし(自分の中で考えている)貢献したいと考えていた部分と合致する”と思い九州から大子町に移住してきました。

私個人の感想ですが、気候から。九州出身なので来た頃は大子町の冬はとても寒く感じました。逆に夏場は湿度がないためエアコンを使う必要がなく快適に過ごしております。生活に関しては、安い眼鏡屋・靴屋が大子町にはないので不便と感じるくらいです。今はネット通販などが充実している為、必要なものは大体揃うので生活に不便さは感じていません。ただ、娯楽自体がほぼないので若い人が住むには面白くないのかな?と感じます。
あとは茨城の県北で“田舎だなぁ”と嘆く人もいますが、福島・栃木に隣接しているので出掛けるのには良い土地だと思っています。また関東圏・東北圏の広さに驚きました。九州は福岡~鹿児島なんて300㎞程度なので3時間半も高速を走れば端から端まで行ってしまいます。なので最初は皆さんが1回の移動距離が100km単位で話をされるので大変驚きました。今ではすっかり私も慣れてしまい多い時では1日で1,000km程度走ることもあります。

牛を中心にやっているので、アミーゴ牧場として子牛のブランド化して販売をしたいと考えています。現在、少しずつですがせり場で固定の購買者も付いているので“アミーゴの子牛を買って良かった!!”と今後も気持ち良く買っていただくように努力したいと思います。高値で取引されることによって普段、世話をしているメンバーさんが“自分の世話をした子牛が高く売れた”と、自信に繋がれば良いなと考えています。あとは、個人的な考えですが将来的には自分たちが育てた農作物をアンテナショップのような形で販売できればと考えています。そこでメンバーが販売員として働く場として提供できればコミュニケーションの練習、対人販売の練習などなど得られるものは多いと思います。その為にも一般流通しているものではなく、希少価値がありつつ需要のある商品を提供できるような作付けや広告など課題は多そうですが遣り甲斐もありそうです。

袋田病院 鈴木

大学の求人コーナーに袋田病院・精神保健福祉士の募集を見つけ、当時ゼミを担当していた教授に「茨城、行く?」と聞かれ、「行きます」と即答し、2009年4月から袋田病院で働いています。正直、縁もゆかりも無い土地でしたが、とにかく即答で「行く」と決めたことだけは覚えています。確か、求人票の備考欄に「自然が多く、緑に囲まれた職場です」と書かれていた様に記憶しています。そして「山、近っ!」と大子の自然に圧倒されつつ、水郡線に揺られて面接に来ました。

入職からの数年は、仕事に慣れる事で毎日てんやわんや。その後は結婚・出産・育児休暇・子育て・職場復帰と目まぐるしく過ぎていきました。今は職場の配慮もあり子育てと仕事の両立を頑張れています。地元を離れる事に不安はありましたが、育ってきた土地とは違った地域性や独特の方言に翻弄されつつ、刺激的な毎日を送っています。
最初は聞き取れなかった大子弁も今では「大子の人け?」と言われるまでに上達しました。
家庭でも仕事でも『寄り添うこと』を念頭に、日々丁寧に過ごしていきたいですが、実際はしばらくバタバタした日々が続く予感です。